田辺 繁文(たなべ しげふみ、1959年8月30日 - )は、広島県芦品郡出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
来歴・人物
盈進高等学校では、1977年夏の県大会準々決勝に進むが近大福山高に敗退。同年12月には広島県高校選抜チームのフィリピン・台湾遠征に参加。
大型の本格派左腕投手と期待され、1977年ドラフト1位で広島に入団。しかし登板は1978年の1試合にとどまり、1983年11月任意引退。現在は地元広島で飲食店を経営している。
高校時代は、夏の甲子園優勝投手、松本正志(元阪急)以上のスピードと評判が高かった。1試合平均奪三振13、ノーヒットノーラン試合6回の記録を持っていた。
詳細情報
年度別投手成績
記録
- 初登板:1978年10月8日、対ヤクルトスワローズ25回戦(明治神宮野球場)、7回裏に4番手で救援登板、1回2失点
背番号
- 12(1978年 - 1982年)
- 48(1983年)
脚注
関連項目
- 広島県出身の人物一覧
- 広島東洋カープの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 田辺繁文 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)




