ヨーク=オールバニ公爵エドワード・オーガスタス(英語: Edward Augustus, Duke of York and Albany 、1739年3月25日 - 1767年9月17日)は、イギリスの王族。ジョージ3世の弟。
生涯
プリンス・オブ・ウェールズ、フレデリックと妃オーガスタの次男として生まれた。ノーフォーク・ハウスでオックスフォード主教トマス・セッカーによる洗礼を受け、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公カール1世、フリーデリケ・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルクが名親を務めた(それぞれクイーンズベリー公爵、カーナーヴォン侯爵、第4代ハミルトン公爵の娘シャーロット・エドウィンが代役を務めた)。
海軍への興味を持ち、イギリス海軍への入隊許可を得た後1758年のサン・マロ襲撃、サン=カスの戦いに参戦した。1759年6月14日に44門艦フェニックスの大佐に昇進、1761年に青色少将に、1762年に青色中将に昇進した。
1752年にガーター勲章を授与され、1760年4月1日に父方の祖父ジョージ2世よりヨーク・オールバニ公位とアルスター伯爵位を与えられた。同年10月にジョージ3世が即位すると、独身の兄に次いで王位継承権第1位となった(1762年8月12日にジョージ3世の長男ジョージが生まれると2位になった)。さらに1760年11月27日に王立協会フェローに選出された。
1762年にフリーメイソンの会員となった。1765年にはプロイセン王国のベルリンに「友愛ロッジ」(Lodge of Friendship、後の「王立友愛ヨークロッジ」(Royal York Lodge of Friendship))を創設した。
1767年晩夏、ジェノヴァへ向かう途上に病となり、モナコに上陸し看護を受けていたが、回復することなく9月17日にモナコ大公オノレ3世の宮殿で死去した。彼の遺体はフリゲートのモントリオールでロンドンにへ運ばれ、ウェストミンスター寺院に埋葬された。
出典
参考文献
- 湯浅慎一『フリーメイソンリー その思想、人物、歴史』中央公論社〈中公新書955〉、1990年。ISBN 978-4121009555。




