クリストバル・マルティネス=ボルディウ(スペイン語: Cristóbal Martínez-Bordiú、1922年8月1日 - 1998年2月4日)は、スペインの貴族、医師。第10代ビリャベルデ侯爵(El X Marqués de Villaverde)の爵位を持ち、総統フランシスコ・フランコの娘である初代フランコ女公爵カルメン・フランコと結婚した。
経歴
ホセ・マリア・マルティネス・イ・オルテガ(José María Martínez y Ortega)と第9代ビリャベルデ女侯爵マリア・デ・ラ・エスペランサ・ボルディウ・イ・バスカラン(María de la O Esperanza Bordiú y Bascarán)の息子としてマンチャ・レアルに生まれる
マドリード・コンプルテンセ大学で医学を学び、心臓病を専門とする外科医になる。
1950年8月1日に総統フランシスコ・フランコの娘カルメン・フランコと結婚した。夫妻は7人の子供を儲けた。
1968年にスペインで最初に心臓移植を行った外科医だが、その時の患者は死亡している。国立胸部疾患学校の胸部外科の責任者となり、アメリカやヨーロッパによく出張した。国立胸部疾患学校の医療監督となっていたが、1986年に当時の保健社会福祉大臣マリア・ゴメス・メンドーサによって解任された。
1998年2月4日に脳出血により死去。ビリャベルデ侯爵位は長男のフランシスコ・フランコが継承した。一方、妻カルメンが持つフランコ公爵位は2017年に彼女が死去した後、長女カルメン・マルティネス=ボルディウが継承している。
子孫
- 長女 第2代フランコ女公爵マリア・デル・カルメン・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ (1951年2月26日-) カディス公爵アルフォンソ(スペイン王アルフォンソ13世の次男セゴビア公ハイメの長男)と結婚。1984年にジャン=マリー・ロッシと再婚。2006年にホセ・カンポス・ガルシアと再再婚し、2013年離婚
- ボルボーン公爵フランシスコ・デ・アシス・デ・ボルボーン・イ・マルティネス=ボルディウ (1972年11月22日-1984年2月7日)
- アンジュー公爵ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボーン・イ・マルティネス=ボルディウ (1974年4月25日-)
- マリー・シンシア・ロッシ (1985年4月28日-)
- 次女 マリア・デ・ラ・オ・"マリオラ"・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ (1952年11月19日-) ラファエル・アルディド・ビジョスラドと結婚
- フランシスコ・デ・ボルハ・アルディド・イ・マルティネス=ボルディウ (1975年12月20日-)
- ハイメ・ラファエル・アルディド・イ・マルティネス=ボルディウ (1976年9月28日-)
- フランシスコ・ハビエル・アルディド・イ・マルティネス=ボルディウ (1987年4月7日-)
- 長男 第11代ビリャベルデ侯爵フランシスコ・フランコ・イ・マルティネス=ボルディウ (1954年12月9日-) マリア・デ・スエルベス、ミリアム・ギサソラと結婚
- フランシスコ・フランコ・イ・デ・スエルベス (1982年11月30日-)
- フアン・ホセ・フランコ・イ・デ・スエルベス (1985年9月29日-)
- アルバロ・フランコ・イ・ギサソラ (1994年8月15日-)
- ミリアム・フランコ・イ・ギサソラ (1996年2月5日-)
- 三女 マリア・デル・マル・"マリー"・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ (1956年7月6日-) ジミー・ヒメネス=アルナウと結婚
- レティシア・ヒメネス=アルナウ・イ・マルティネス=ボルディウ (1979年1月25日-)
- 次男ホセ・クリストバル・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ (1958年2月10日-) ホセ・トレドと結婚
- ダニエル・マルティネス=ボルディウ・イ・トレド (1990年6月11日-)
- ディエゴ・マルティネス=ボルディウ・イ・トレド (1998年5月4日-)
- 四女マリア・デ・アランサス・"アランチャ"・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ (1962年9月16日-)
- 三男ハイメ・フェリペ・マルティネス=ボルディウ・イ・フランコ (1964年7月8日-) ヌリア・マルチェ・イ・アルメラと結婚
- ハイメ・マルティネス=ボルディウ・イ・マルチェ (1999年11月13日-)
脚注
出典
参考文献
- ヴィントガッセン, アンティエ『独裁者の妻たち』阪急コミュニケーションズ、2003年(平成15年)。ISBN 978-4484031095。
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