源 是恒(みなもと の これつね)は、平安時代前期の賜姓皇族・貴族。光孝天皇の第八皇子。官位は従四位上・美濃権守。
経歴
当初是恒王を名乗るが、貞観12年(870年)父の時康親王の上表により、兄弟姉妹と共に源朝臣の姓を賜与され臣籍降下。その後、出家して空性と号する。元慶8年(884年)時康親王が即位(光孝天皇)すると、出家の身であったが他の兄弟と共に時服月俸に預かっている。
その後、還俗して寛平8年(896年)11月に再び源朝臣姓を与えられ、官位は従四位上・美濃権守に至る。
延喜7年(907年)7月28日卒去。
官歴など
注記のないものは『日本三代実録』による。
- 貞観12年(870年) 2月14日:臣籍降下(源朝臣)
- 時期不詳:出家(法名・空性)
- 元慶8年(884年) 6月2日:時服月俸給
- 寛平8年(896年) 11月:還俗
- 時期不詳:従四位上。美濃権守
- 延喜7年(907年) 7月28日:卒去
系譜
- 父:光孝天皇
- 母:不詳
- 妻:不詳
- 養子
- 男子:源衆望 - 嵯峨源氏源昇の子
脚注
参考文献
- 武田祐吉、佐藤謙三訳『読み下し 日本三代実録』(上下巻)、戎光祥出版、2009年



