1955年ベルギーグランプリ (1955 Belgian Grand Prix) は、1955年のF1世界選手権第4戦として、1955年6月5日にスパ・フランコルシャンで開催された。
レースは36周で行われ、メルセデスのファン・マヌエル・ファンジオが優勝、同じくメルセデスのスターリング・モスが2位、フェラーリのジュゼッペ・ファリーナが3位となった。
レース概要
ランチアは資金難に加え、エースのアルベルト・アスカリが事故死したことを受けて、F1から撤退することを表明した。しかし、アスカリのチームメイトだったエウジェニオ・カステロッティの熱心な説得に折れて、カステロッティ1台のみプライベート参戦することを許可した。予選ではそのカステロッティがポールポジションを獲得した。ベルギー王室も見守られる中行われた決勝は、ファン・マヌエル・ファンジオとスターリング・モスのメルセデス勢が終始リードしてワン・ツー・フィニッシュとなった。序盤3位につけていたカステロッティはギアボックスの故障でリタイアとなったが、ランチア・D50がこのまま葬り去られるには惜しいマシンであることを証明した。ジュゼッペ・ファリーナが3位で表彰台を獲得し、地元出身のポール・フレールが4位に入賞した。
エントリーリスト
- 注記
- ^1 - エントリーしたが出走せず
- ^2 - ランチア勢は撤退したが、カステロッティのみプライベート参戦
結果
予選
決勝
- 追記
- ^1 – ファステストラップの1点を含む
注記
- 車両共有: 24号車: ロベルト・ミエレス (10周)、ジャン・ベーラ (25周)。5位に入賞したため、両者に1点が与えられた。
- ハリー・シェルは、チームメイトのモーリス・トランティニアンにマシンを譲ったため出走せず。
- ランチアはアルベルト・アスカリの事故死と資金難によりF1活動から撤退したが、当レースに限りエウジェニオ・カステロッティがプライベート参戦した。
第4戦終了時点のランキング
- ドライバーズ・チャンピオンシップ
- 注: トップ5のみ表示。ベスト5戦のみがカウントされる。
脚注
参照文献
- Steve Small - The Grand Prix Who's Who, 1996
- Sheldon and Rabagliati - A Record of Grand Prix and Voiturette Racing, Volume 6, 1954-1959, 1987
- 林信次『F1全史 1950-1955』ニューズ出版、2000年。ISBN 4-89107-019-6。
外部リンク
- James Allen on F1 - video of 1955 event
- Half-hour HiDef copy of contemporary film of the 1955 GP
- STATS F1



